本日のマグネットはポーランドはクラクフのものです。

織物会館(Sukiennice)のデザイン。

アウシュヴィッツ強制収容所のあとは
ビルケナウ強制収容所(第二強制収容所)に向かいます。

3キロ離れているため、無料シャトルで移動。

こちらは帰りに撮影したものなので
アウシュビッツ行きだけど。

1941年10月、ブジェジンカ村に
被収容者増を補うため、
「第二強制収容所ビルケナウ」が開所。

東京ドーム約37個分の広さで、
300以上の施設がありました。
ピーク時の1944年には90,000人が収容。

唐沢verの『白い巨塔』のロケ地。

映画『シンドラーのリスト』は
この門の外側にセットを組んだのだそうです。

死の門。




妖怪が人間を吸い込む口のように見える…。


ヨーロッパ各地からユダヤ人を
収容所まで乗せてきた貨車。

この中に何十人ものユダヤ人が詰め込まれ
ビルケナウに連れてこられました。

窓もない、水も与えられないこの状況で
何日も走っていたために
死者がでることもあった、と。


ビルケナウの降車場(ランペ)で行われた死の選別。

貨物列車からおろされるとまず男女に分けられます。

そこにドイツ人医師(黄色い丸)が顔色を確かめながら
「右へ行け」
「左へ行け」・・・と指図。

どちらかがゲットーで
どちらかが「シャワー」と称したガス室行き。

労働力として選ばれたのは到着した人のわずか25%で
残りの7割は降車直後に、殺されました。

これが『死の選別』です。

まさに上記の写真の場所。

反対側から撮影してしまったので
建物が写っていませんが
写真通りの風景でした。

そして第二クレマトリウム残骸

ガス室と焼却炉。

終戦後、ドイツ軍が撤退の際、
証拠隠滅のために破壊しました。


撤退まで時間もなかったし、
ドイツの建築技術の高さがあだとなり、
完全に破壊することはできませんでした。

おそらくここが「シャワー室」と称した
ガス室だったところ。

シャワーの蛇口までつけて
被収容者に信じ込ませようとしていました。

中谷さんいはく
「シャワーを浴びるということに関しては
信じていた人もいれば、
噂で殺される事実を知っていた人もいただろう」

とのことでした。

知っていた人たちの恐怖は計り知れません。

当時300棟あったバラック。
ほぼ完璧な形で残っているのは
45棟のレンガ造り、22棟の木造の囚人棟のみです。


本当に広大な敷地なので
草刈りはじめ、メンテナンスが非常に大変だそうです。

ちなみに
アウシュヴィッツ強制収容所跡地に関する法律があり
「ヒトラー収容所」とその建築物及び設備は
当時のまま保存されなければならないという規定があります。

犠牲者のお墓でもあるこの負の遺産を守ろうと
各国から多くのボランティアが参加。
ドイツ人の若者も多く協力しています。

現存しているバラックの中を一部見学。


こちらはベッドです。


この粗末な造りの一段に、
5~7名が寝ていました。


マットなんて当然なくて、
藁をひいてくれていれば良い方だったそうです。

ポーランドの冬は
マイナス20℃になる日もあります。
暖房なんてほぼ無いような状態です。
凍死する人も少なくありませんでした。

こちらはなんとトイレ。

ぼっとん便所。

1日2回、決められた時間にしか
トイレに行くことを許されていませんでした。

1回数秒で済ませないといけないルール。

どれだけ劣悪な環境、状況だったかが分かります。


小さい頃、読んだ『アンネの日記』。
アンネフランクが収容されたのは
このビルケナウでした。



この場所で、父親とは今生の別れとなりました。
アンネは労働可能とされ死は免れましたが
2ヶ月後、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られ
数カ月後に、チフスにかかって亡くなってしまったそうです。



罪もない人々が
意味もなく殺されていく。

なんという惨劇・・・。

でも中谷さんはおっしゃいました。

「アウシュビッツの悲惨さばかりが際立って
ドイツ人の残虐さに焦点をあてがちだが
原爆や銃殺で殺された人、
それも同じ被害者です。」

中谷さんの言葉を受けて、
アウシュビッツの存在意義は
その残酷さを知ることだけではなく
もっと人間の根本的な・・・本質的な部分を
今の社会と結びつけて考えなければいけないのだ
と私なりに解釈しました。



中谷さん:「ナチスが冷酷な人間の集まりだったかというと
実はそうではなく、
家に帰れば普通のお父さんでした。

最大の教訓はそうしたシステムにおかれたら
人間はいとも簡単に変わってしまう。
人間を人間と思わなくなる。」




なぜ、ユダヤ人がターゲットになったか。

ドイツは第一次世界大戦の敗北後、
多額の賠償金などで
財政が悪化していました。
ヒトラーは崩壊の責任を全てユダヤ人に転嫁し
国民もまたそれに徐々に賛同していきました。

中谷さん:「想像してみてください。
産業的にも文化的にも成熟し、
民主政治を行っていたドイツという国で、
なぜこのような虐殺が行われたか。

ヒトラーは邪悪で異常な独裁者のイメージが強いですが
彼もまた民主的な選挙によって国民に選ばれたということ。
そして、ナチス軍は国際的に公表していたので、
世界中の人がこの事実を知っていながら
見て見ぬふりをしていたということ。」



アウシュビッツも国家的とはいえ、
どこにでもいるような普通の人間たちが望んだ
イデオロギーの産物なんだな。

そして、
ナチスもそうだけど、収容者間でも存在したヒエラルキー。
現代社会でも、どこにでも起きてる。
全く他人事ではない。

「自分たちの生活を守るためには必要なこと」と
思い込んでしまったら、人は「悪」に翻ってしまう。
私だって・・・、これを読んでるあなただって。



史実を知ることの重要性を
この年になって初めて実感。

中谷さんは
ご自分の意見を一切押し付けることなく
常に、
私たちが自身で考えねばならない課題を投げかけてくださいました。

アウシュヴィッツ+ビルケナウへの訪問者は
年々増えていて、
2014年は153万人と過去最高となりました。

ヨーロッパでは人権や命というテーマだけでなく、
経済発展の障害となる人種差別に
対処する学びの場として
アウシュヴィッツを見学しにくるそうです。

そしてドイツ人も多く訪れるのだとか。
そう言えば、ベルリンの一等地に
ユダヤ人の慰霊碑を作っていたのもまたドイツ人でしたね。

二度と同じ過ちを繰り返さないよう
彼らは過去に向き合っています。

私は
「日本人が加害者だった」
という目線で
戦争を考えたことはある?

例えば、隣国の問題。
慰安婦やA級戦犯などもそうだけど。
どっかで他人事のように見ていなかったか。
ちゃんと向き合ったことがあったかな?

アウシュビッツとビルケナウ見学。
私には本当に意味のあるものでした。

最後に中谷さんは言いました。
「日本の若い人たちにもっと見に来て欲しいと思っています。
二度と同じ過ちを繰り返さないために。」


収容者の方々の犠牲に意味があるものとするために
私たちは事実と向き合って
前に進んでいかねばならないと強く思いました。